Canonet QL17, 400TX
僕らは小さな子供の頃から何かが上手に出来て褒められることが至上の喜びだったり、
そのために努力してみたり、うまくいかないときには他の方法でチャレンジしてみたり。
自分が上達したという自己満足も大きいけれど、学校などで表彰台に登るなんて
光栄な事態になったならもう恥ずかしいやら、ご飯も喉を通らないやら、親にご褒美ねだってみたりやら(笑)。
Canonet QL17, Presto 400
しかし、学校というところは、子供の全ての能力を試すわけではなく、またごく限られた
領域を重点的に学ばせるところだから、あまり褒められることと縁のない子供たちも
出てくる。褒められない・認められないことがさらにその子の意欲を低下させる。
教師によってはそこら辺を心得ていて、ナントカ君は勉強はあまり出来ないけど他の子が
困っているとスグに助けに来てくれるもんね、そんなところ先生は好きだな!
なんてフォローしてくれることもある。
OM-2N, OM ZUIKO 50mm F1.4, TX400
僕自身はあまり勉強をしないのにもかかわらず成績はあんがい良く、また表彰台の
上に登る機会も多かったので、憧れはピアノが上手だとか絵がうまいとか、そういう
特殊技能(?)にとても長けている子たちだったなぁ…
いずれ、学校・自宅で過不足なく認められて、うまい具合に希望したとおりに進学でき、
いまの仕事にも基本的に満足している。
OM-2N, OM ZUIKO 50mm F1.4, Fuji Pro160C
問題なのは、僕のような自慢話をしたい輩が増えつつあることで・・・・ ぢゃなくて!
問題なのは、若年期に学校でも家庭でも認められることなく育ち、またごく常識的な
意欲に欠け、社会的能力も育たずに大人になっていった場合、そういう大人たちが
具体的にはどういった不満を抱えて生活しているのかを、もっとわれわれ一般人も考えなくては
ならないのでないか、現在の状況では不十分なのではないかということである。
こういった若年期の育ち方が災いして起きたのではないかというとても不幸な事件が
続いたことがあった。
その状況はいまも変わっていない。
幸いにも社会の表面に現れないだけのことである。
僕は普通に社会生活を送っていて、仕事をしていて、「もしかして」と思うことが
増えてきているような気がする。
社会的能力が低下した状態では、たくさんの人に認められることと、大勢の注目を引く
結果になることの境界線があやふやになるのではないだろうか。自分の仕事の達成度と
RPG の中で達成したポイントとが混同されてやしないだろうか。
街の中で、いつ、現実・社会性を失った不幸な人間の爆発と遭遇するかわからないのである。
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