GR21, Ilford DELTA 100
その夜、私は行き当たりばったりのドライブをしていて、T字路に差しかかった。
右か左に行くしかないが、その辺りの地理には不案内、
どっちにしようか少しの間考えて、どちらでも良かったのだが、左に決めた。
しばらく行くと、憧れの真っ赤なロードスターが路肩に駐めてあり、
ボンネットが開けられて一人の女性が あちこちを覗き込んでいるのが遠く後方にいる
ヘッドライトを点けたばかりの私のクルマから見えた。
そのまま通り過ぎることも出来たが、なぜか無性に気になったので、
そのクルマの後ろにゆっくりと自分のクルマを停めて様子を見に行った。
「どうされたんですか?」
「う〜ん…、眠くなってきたのでクルマを停めて いったんエンジンを切ったの。
そしたらもうエンジンが掛からなくなっちゃって… あぁ、困ったわ。。」
その振り返った彼女を見たとたん、私はなぜか過去に同じことを経験したことがあると確信した。
次はどうなるかが見えるようにも感じた。
「発電機が故障し、バッテリーがあがってしまったのではないですかね?」
「私のクルマからケーブルを伸ばしてエンジンを掛けてみましょう!」
と、私。
・・・・・・・・・
その後、その女性の素敵なロードスターはエンジンが掛かり、元気に走ることが可能になった。
私は彼女にいたく感謝され、お礼に彼女の自宅で夕食を とのお誘いがあった。
断ることも出来たが、その女性がボクのタイプであり、話も楽しく弾みそうな予感がしたので、
断然受けたかったが、ここは勝負、いったん断ってみた。
やはり、「それでも… どうか… 気がすまない…」 となり、私は頭を掻きながら承諾、
彼女のクルマの後を着いていった。
その夜がとてもロマンチックなものとなったことは言うまでもない。
ーーーーーーーーーー
この思い出深い出会いは偶然なのか、必然なのか、いったいどちらなのだろう。
われわれ平凡人の感覚では類い稀な偶然、と疑いなく判断するのだが、
この世の中の出来事はどんなに小さな出来事でもある特定の原因の結果である。
あえて言うなら、この世界で起きていることは人間の心も含めて、全て何らかの
物理現象・化学反応なのだから、分子・原子のレベルまで考えれば、
ある時点のこの世界のすべての原子の状態を、その膨大な情報を余すことなく確認出来るならばその一瞬後の
状態は予測出来得るものと考えられる。
つまり未来は複雑に入り組んだ因果律によってあらかじめ定まっている。
よって、われわれ人間には受け入れがたいことだがすべてこの世で起きることは必然、
われわれが自由意志を信じているにも関わらず、必然なのである。
ただ、そう認識しないようにわれわれの精神は出来上がっている。
(すべて必然と常時考えていたら、生きる意志・意欲も失せてしまうに違いない)
われわれの遺伝子はそれを許さなかった、つまり偶然と考えるような人間しか
生きられなかったとも言えるのである。
ボクは偶然を信じているし、上の出会いにおいて、
左の道を選んだのはこのボクであって、すでに決まっていたこととは考えない。
直感がそうボクに告げるのである。←遺伝子に操られているのか!
論理的な考えではないが、われわれの心はこの世界にそのすべてを
依存しているわけではないのだと思う。
たかが人類はこの世界のすべてを認識し理解しているとは到底思えないからである。
そう、将来を決定づける出会いは偶然でもあり、運命でもあるのだ。
(運命:人智を越えた存在が人間の将来を決めている、あるいは配された出来事。スピリチュアルな概念)
しかしながら、未来は定まっていないとする量子力学において有名な原理、「不確定性原理」にまつわる
様々な理論・実験はよく読んでみると こじつけ に満ちているように感じられ、
ある意味では哲学、信仰に近いとも言える。
かのアインシュタインはこのような原理を生んだ量子力学は物理ではあり得ないと思ったそうである。
この未来についての「不確定性」については、未だに決着がついていないのが現実だ。
GR21, Ilford DELTA 100